CD 「にんげんをかえせ」 

峠三吉について

ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 

峠三吉は日本の代表的な原爆詩人である。彼は1951年に『原爆詩集』を発刊し、その翌年に広島市民と子どものアンソロジー『原爆雲の下より』を編纂した。彼も被爆し初期の被爆者運動にも参加したこともあるが、反戦・反原爆(反占領も)を強くアピールするようになった直接的な契機は、アメリカの朝鮮戦争での原爆使用を考慮するというトルーマン声明(1950年)であった。「広島市民からただちに意思表示を」(日記)すべきとして、占領下のプレスコード(報道禁止令)に抗って、彼は原爆詩を激しく書き始めた。その背景には、ストックホルムアピール(原子兵器の禁止、国際管理などの世界平和評議会の決議)への彼の信念があった。「にんげんをかえせ」の詩句は、『原爆詩集』の冒頭の「序」の詩にあるが、これは彼の反原爆=核兵器廃絶の心願の最たる発現で、若い私たちに「人間の起き上がってくるところを描こう」と、よく言っていた彼の思いに重なる端的な絶句あるいは絶唱であろう。峠三吉は1917年に生まれ、1953年3月、手術途中で死去。原爆症であった。36歳であった。(増岡敏和)


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