| 「にんげんをかえせ」は、東(あずま)訴訟判決報告集会で生まれました このCDの生まれたいきさつ 中川重徳 (原爆症認定集団訴訟弁護団) 2005年3月29日、ある被爆者が国を相手に起こした裁判の高裁判決が言い渡されました。 裁判の原告、東数男さんは、60年前の8月9日、16歳の時に長崎の軍需工場で原爆にあいました。爆心から1.3キロの工場は全壊、東さんはおおけがを負い、急性症状にもみまわれましたが一命をとりとめました。 しかし、数十年も経った50代半ばに肝機能障害を発症、原爆の放射線が病気の原因となっていることを認定するよう申請をしましたが、国は、5年も待たせたあげくに却下しました。 東さんは、国を相手に裁判をおこし、2004年3月、東京地方裁判所は、東さんの主張を認める判決を下しました。肺がんにも冒された東さんは、「絶対に控訴しないでほしい。国は被爆者が死ぬのを待っているのか。」と訴えましたが、国は控訴、その直後から東さんは体力を失い、高裁判決を目前にした2005年1月29日、無念の死をとげたのです。 東さん不在の法廷で言い渡された高等裁判所の判決は、現在の国の原爆症認定の審査基準を「被爆者に不可能を強いるもの」と断罪し、東さんの病気が原爆症であったことを再びはっきりと認めました。 しかし、東さんの命は戻りません。私たちは、完全勝利の判決を手に、やるせない怒りでいっぱいでした。 その裁判報告会の会場に、横井久美子さんがかけつけてくれていました。マイクを握った横井さんは歌い出しました。 Give me back my father Give me back my mother アメージンググレースの旋律にのせて横井さんが歌う峠三吉の「にんげんをかえせ」は、私たちの心をゆさぶりました。 天国にいる東さんの叫びを思い出しました。 心をゆさぶられた私たちと横井さんと、どちらからともなく、CDをつくろう、という声があがりました。東さんに続いて、全国で原爆症認定を求めて集団訴訟に立ち上がった原告や弁護団、支援者の思いが結晶しました。横井さんはボランティアでCD作成に参加してくれました。 みなさん、一人でも多くの人にこのCDを広めてください。 横井さんの歌声に耳を傾けてください。 峠三吉の叫びとオダネルさんの見つめた少年の姿に思いをはせてください。 そして、被爆者たちの命と生をかけたたたかいを応援してください。 「にんげんをかえせ」 横井久美子 2005年3月29日、東訴訟判決集会で歌うことを依頼された私は、差別や病苦にさいなまれ、高齢を迎えた被爆者の方たちが集まる場で、何を歌えばいいのだろうかと悩んでいました。そして前夜、ずっと心に残っていた峠三吉の詩にメロディをつけることを思い立ちました。 原爆によって「わたし」を奪われ、「わたしにつながるにんげん」の拠って立つすべてを破壊された被爆者。そして、原爆投下から六○年、核兵器がなくなるばかりか、広がっていくこの世界。「にんげんのよのあるかぎりくずれぬへいわを」という峠三吉の詩こそ、被爆者の方たちの心からの願いではないかと思ったのです。 峠三吉は、1950年、アメリカのトルーマン大統領が、朝鮮戦争で原爆使用を考慮するという声明を聞き、「広島市民から直ちに意思表示を」と、この詩を書き、「原爆詩集」の冒頭の「序」となりました。 しかし、この詩に曲をつけようとすればするほど、この詩に人間の深い平和への希求を感じて、私の創るメロディは賛美歌である「アメージンググレイス」に似てしまいました。だったらいっそのこと「アメージンググレイス」をそのまま使おうと思ったのです。ただし、拍子を三拍子から四拍子にし、メロディも若干変えました。(このような例は、黒人霊歌のメロディにピート・シーガーが新しい詩をつけた「WE SHALL OVERCOME」があります。) その判決の日、私は、午前中の川崎市でのライブを終え、東京霞ヶ関の弁護士会館に駆けつけました。 東裁判は、高裁で勝利判決を勝ち取りました。しかし、原告である東さんは、すでに二ヶ月前に亡くなられていました。支援者から次々と喜びと怒りの発言があった後、私は、アカペラ(無伴奏)で、まず英訳詩「GIVE ME BACK MY PEOPLE」を歌い始めました。続けて「ちちをかえせ ははをかえせ」と歌うと、一瞬会場の空気が変わりました。歌い終わると年配の女性から涙ながらに「よく歌ってくれました」と握手されました。 しかし私は、「にんげんをかえせ」を歌ったものの、私自身は、この日まで、被爆者の実相についてほどんど知りませんでした。原爆投下の被害を認めたくない日米の核政策のため、二八万人の生存被爆者のうち国によって「原爆症」と認定されている人は、たった2000人、1%にも満たないということ。60年たった今も被爆者は、体を蝕み続ける原爆の影響に怯えて暮らしているとこと。現在、167名の被爆者が、全国12ヶ所の地裁で原爆症認定集団訴訟を起こし、立ち上がっていること。こうした事実を、この集会に参加して私ははじめて知りました。 私は、この日以来、あらゆるところでこの歌を歌い、また、弁護団と一緒にCD「にんげんをかえせ」をつくり、原爆症認定集団訴訟の支援をはじめました。いま私は、被爆国の音楽家の一人として、原爆症認定訴訟の支援を通して、「核兵器廃絶」という地球規模の課題に立ち向かう新たなスタートラインに立っています。被爆六○年のこの年に「アメージンググレイス」のメロディにのって甦った峠三吉の「にんげんをかえせ」の歌を、「核廃絶」の力にしたいと願っています。(婦人通信11月号より抜粋) 資料LINK ・東数男原爆裁判 東京高裁でも完全勝利(2005/03/29)) ・6.2集団訴訟原告を励ますつどい(2005/06/02)) |